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【日本史】太平洋戦争中は娯楽が無かった?真相を調べてみた。

今回は日本史、とりわけ太平洋戦争時の娯楽ついてお話したいと思います。

突然ですがみなさん、太平洋戦争中の日本には娯楽があったと思いますか?

  • 「ぜいたくは敵だ!」
  • 「欲しがりません 勝つまでは」
  • 国民精神総動員法

戦時下における、これらの有名な標語や政策から、

いとう

娯楽なんて無い生活をしてたのでは?

 

というイメージの方が多いかもしれません。ですが、

結論から言うと娯楽はあったのです。

 

そこで今回は、当時の日本人が親しんでいた娯楽とは一体何なのか、まとめてみました。

そもそも、本当に娯楽があったの?

娯楽が国家から厳しい規制を受けていたのは事実です。

 

スポーツでは、1940年に行われるはずだった東京オリンピック開催を返上。

当時人気だった野球も、戦争相手国のスポーツとして規制されました。

 

さらに規制の対象となったのは、演劇や漫才、落語など。

庶民感情への影響力がデカいから、という理由でBANされちゃったのです。

 

しかし、そんな中でも規制の対象にならなかったものがあるのです。

具体的に次で説明しております。


戦時中の日本の娯楽

3つ紹介します。

①映画

日本に映画が入ってきたのは1896年のこと。

そこから瞬く間に大人気となり、1929年には映画館の観客動員数が1億6000万人を記録しました。

 

いとう

(当時の人口は約6000万人ですよ…?)

 

1939年になると、恋愛モノの映画などが規制対象になったようですが、

それでも映画自体は根強い人気を誇っていました。

 

映画が完全に規制されなかったのは、

  1. 庶民の心の支えとなっていた映画を排除するのは無理っぽかったから。
  2. 映画人気を利用して国策映画を流せば、戦意高揚を狙えるから。

こういった理由からでした。

 

東京大空襲後、爆撃を逃れた映画館に人が殺到していたという事を考えると、いかに映画が庶民の心の拠り所となっていたかがわかります。

 

そして国策映画のほうも非常に人気が高かったようです。

「国策」って聞くとなんだかつまらなそうですが(笑)、リアルな特撮シーンが人気だったようです。

②相撲

野球・大相撲は当時から人気が高かったのですが、先述したように野球は規制されました。

ですので、相撲に人気が集中したのですね。

 

相撲は日本の国技である上です。

その上、力士の強くて謙虚な姿が規範になるということで、規制よりもメリットの方が多かったのでしょう。

 

また、相撲協会のポストに軍部関係者が就任することもあったようで、その辺りも規制対象にならなかった理由と言われています。

③旅行

もちろん国内ですが。

 

「戦勝祈願のため」「聖地巡礼」という名目で観光地に行っていたようです。

行き先は様々ですが、伊勢神宮などをはじめとした神社などがポピュラーだったようです。

 

それと、「鍛錬」と称してハイキングや海水浴に行く人もいたようですね。

 

いとう

モノは言いようです。

その頃のアメリカの様子

せっかく当時の日本の様子をお伝えしたので、同時期のアメリカの様子もついでにご紹介してみます。

…と思ったのですが、何だか元サイトがR18っぽい…?

ということで、「元サイトの画像を紹介しているサイト」のURLを貼らせて頂きます!笑

 

参考 バックトゥーフォーティーズアメリカ。1940年代のアメリカの高画質なカラー写真特集カラパイア 不思議と謎の大冒険

動画も。

なんか映画の中みたいですよねぇ。

都市部は、今とさほど変わらない印象を受けますね。

しかし農村部などは、まさに

いとう

40年代のアメリカだなぁ…。

 

という印象でした。(小並感)

最後に

皆さんがイメージしていた、戦時下の日本の暮らしとは少し違う部分もあったのかもしれません。

 

年月が経過するにつれ、アメリカの機密文書が公開されたり記録が見つかったり、はたまた研究が進んだりして、今後も新しい発見がされていくと思います。

 

なんだかワクワクしますよね!

(※参考図書↓)

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