勉強や仕事をしていると、ときには楽しくない事をやらなければいけない場合があります。
そんな時に、
- こんな事をやっても意味ないでしょ。
- 自分の専門外だし、興味も無いし、手を抜いた方がトクだ。
- 全てがバカバカしく思える。それなのに、何でみんなは頑張れるんだろう?
と、このように感じたことがある人は多いかもしれません。何を隠そう筆者もそうで、いつも「こんなの意味無くね…?つまんないし無駄だしメリットがねぇ」などと考えていました。
そして、時には人生そのものの無意味さについて悩むこともあり、非常に辛かったのを覚えています。
しかし、これから述べることを意識し始めたら、「人生の無意味さ」について悩むことが8割ほど減ったので、今回はその方法をシェアします。
「無意味さ」を感じる3つの理由
まず前提として、”無意味さ”を感じやすい人は「慎重・真面目・完璧主義」といった特徴があると考えられます。
そしてさらに深堀りすると、例えば以下の3つのような要素が挙げられます。
- 自分の専門性を大切にしずぎている or 目的意識が強すぎる
- 極端に「無駄」を恐れている
- 学校のせい(笑)
以下で詳しく見ていきましょう。
①自分の専門性を大切にしずぎている or 目的意識が強すぎる
「自分はこの分野だけで生きていくんだ」などと意識するのは、一見すると自分にしっかりとプライドを持っており、良い事のように思われます。
しかし、度が過ぎると「自分の専門分野以外は無意味だ」という思考に陥ってしまいやすいです(経験談)
特に最近は「少なくとも1つの専門分野で突き抜けるべき」といった意見をよく目にします。確かに専門性を持つことは大切ですが、とはいえ専門性を追求するあまり、盲目的になってしまっては危険です。
なかなかバランスが難しいですが、極端な発想になるほど「無意味さ」を感じる可能性が高くなる点には、注意が必要です。
②極端に「無駄」を恐れている
最近は「効率化」や「コスパ」、「ミニマリズム」とかが流行りですよね。
つまり「無駄」を省くことが美化されているのです。これは、スマホ等が登場して何もかもが便利になったことが原因のひとつなのかなと、個人的に考えています。
もちろん「ムダを排除して効率化」も大事ですが、だからこそ色々なものに対して
もしかして、今の自分の努力は無駄になるかもしれない…
などと、過度に意識せざるを得なくなっているのかなと。要は「自分の望む結果にならないことが怖いから」とも言えるかもしれません。
時代の流れでしょうかね…。
努力が報われないことはとても辛いですが、その恐怖心で何も手が付かなくなってしまったら、もっと事態は悪化してしまいます…。
③学校のせい(笑)
いまの大学入試のように「捨て科目」を作ることが、結果的に最適解になってしまう現状の入試システムにも原因があるのかなぁ、と思ったりしています。
例えば文系で”GMARCH”などの有名私立大学に入学したい場合、数学や理科は必ずしも必要ではありません。
むしろ理数科目が評価されないのであれば、その分の努力を英語や国語、社会科などに割り振った方が、戦略的には正しいと言えてしまうワケです。
これは入学試験に限った考え方ですが、受験競争の中で「捨て科目を作る」的な習慣が身についてしまうと、後々しんどくなってきます…。
これが「無駄だと思うからやらない」といったような思考を生みやすいのかなと(これには筆者自身もかなり悩んだ経験があります)。
「こんなの意味が無い」を克服する3つの方法とは
- 自分の想像の外に出る(”意味ない”と思う事もやる)
- どのみち、やらなければ罪悪感が生まれる
- ハーバード大学の学生から学ぶ「無駄」の意義
以下で1つずつ見ていきましょう。
①自分の想像の外に出る(”意味ない”と思う事もやる)
そもそも「意味がない」というのは、あくまで自分の想像が及ぶ、限られた価値観における判断に過ぎません。
もしかしたら「意味無い」と思っていたことが、実は自分にとってめちゃくちゃ大切かもしれないし、想像してたより面白いかもしれない。
そして、このような「自分の想像の範囲外」での発見こそが「学び」の本質なのかなぁと思ったりしています。
そして下記は、僕の趣味アカでのツイートです↓
最近悟った事は、「無駄は悪」って風潮の中で、あえて無駄だと思うことをやる大事さ。
無駄の定義はあくまで自分の想像の範囲内でしかない。無駄だと思ってる事をやらないと、予想外の学びや奇跡は起きない。
今自分にまったく必要無いと思っている事こそ、実は大きな意味があったりするのかもなぁ。
— /とーま/ (@horizonenamel) December 17, 2019
最近悟った事は、「無駄は悪」って風潮の中で、あえて無駄だと思うことをやる大事さ。
無駄の定義はあくまで自分の想像の範囲内でしかない。無駄だと思ってる事をやらないと、予想外の学びや奇跡は起きない。
今自分にまったく必要無いと思っている事こそ、実は大きな意味があったりするのかもなぁ。
趣味アカでこんな意識高い系キモツイートすんなって感じですが、ゆるしてください
つまり、
いとう
と思っている事こそ、実はやってみる価値があると考えることができるのです。さらに、それが思わぬリスク分散に繋がったりして、実は合理的だと言える可能性さえあるのです。
②どのみち、やらなければ罪悪感が生まれる
「意味が無いと思っているけど、やらなきゃいけない」という事は、学校や仕事に付きものだと思います。
しかし、それに対して手を抜いたりしてしまうと、どこか罪悪感が生まれ、それをずっと引きずってしまうかもしれません。
やらなくて罪悪感が湧いてくるだけなら、何かしら行動を起こした方がトクですよね。
先ほども「「慎重・真面目・完璧主義」な人ほど”無意味感”を抱きやすい」と書きましたが、こういった方々は特に罪悪感を抱きやすいタイプでもあります。でも、結局何をするのが正解なのか分からず、無気力になってしまう…。
気持ちは分かりますが、このままだとまさに負のスパイラル。早めに断ち切るしかありません。
何をするのが正解なのか正確に理解する必要は無くて、とりあえず目の前の事をやればOKなのです。
(マインドフルネスっぽいですね)
何度も言いますが、「意味が無い」とは、あくまで今の自分の想像範囲内での判断でしかありません。
ですので例え「意味が無い」と思っている事であっても、実行すること自体に大きな意味があると言えるのです。自信を持ちましょう。
③ハーバード大学の学生から学ぶ「無駄」の意義
(僕が世界トップの大学を知ったように語るなんておこがましい話ですが、どうかお付き合い下さい…。)
さて、以下の記事を見かけた時のことです。
参考 ハーバード大生たちの「超人的」キャンパスライフ|1時間でもオフがあると「負け」の日々で…COURRIER JAPON
記事の内容の一部を紹介すると、
ハーバード大学の学生は、学業のみならずスポーツやクラブ活動、文化活動、インターンなど、寝る間も惜しんで大忙し。スケジュールは分刻みで、絶対に自分に休みを与えない学生は非常に多い….
とのこと。
これを読み始めたとき、今より視野の狭かった僕はちょっとした疑問を持ちました。
ハーバード大学の優秀な学生が、なぜ学生スポーツやサークル、文化活動などをそこまで熱心にやるんだろう?彼らにとってそれは、そんなに価値がある事なの?
と。
しかし実は、このようなハーバード学生は「社会貢献」を何よりも重視しているというのです。
つまりスポーツクラブや課外活動など、それぞれのチームや団体における社会貢献を第一に考えているからこそ、そういった行動を取っているというのです。言い換えれば、特定の価値観に囚われずに自分の「人材」としての総合的な価値を高めるという目的で、こんなにも様々な活動をしているのです。
このように、自分の行動や可能性を一切限定していないからこそ、全てのことに対して意味をもって全力投球できるんだなぁと。
この事に気付いた瞬間、筆者は改めて「ハーバードすげぇ(小並感)」と思ったと同時に「あぁ、やっぱり無駄な事って無いんだな」と気付かされたのです。
まとめ:「何もかも無駄だ」と思っている方へ
ここまでの内容をまとめますと、
- 慎重・真面目・完璧主義な性格
- 自分の専門性を大切にしずぎている or 目的意識が強すぎる
- 極端に「無駄」を恐れている
- 学校のせい(「捨て科目を作る」的なクセが付いてしまっている)
そして、これらの解決方法としては、
- 自分の想像の外に出る(”意味ない”と思う事もやる)
- どのみち、やらなければ罪悪感が生まれるので「やった方が得」だと思い込む
- 自分の価値観を固定しない(ハーバードすげぇ)
以上がカンタンなまとめです。
ところで、吉田兼好の随筆である『徒然草』の第150段には、こんな事が書かれています。
これから芸を身につけようとする人が、「下手なうちは、恥ずかしいから誰にも見られたくない。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するほうがカッコ良い」などと言うが、これは間違いだ。こんな事を言ってる人が上達した例は、何一つとして無い。
つまり、最初はめっちゃ低レベルで恥をかく事があっても、学ぶことさえ出来ればそれで充分、というのです。
このような、ある意味での強制力や不自由(ここでいう”恥をかくこと”)は、実は自由のために必要だったりするのです(逆説的ではありますが)
結局「自由」の概念も自分の価値観の範囲内でしかないため、自分が「自由」だと思っていたことが実は不自由だったりもする。それを知るためにも「無駄だと思っている事をやる」というのは、非常に意味があると言えるのです。
まとめのまとめ
さて、「人生の全てが無駄に思えてくる」という状態は、ほんとうに辛いと思います。僕もそうだったし、今もまだ部分的にそうなので、気持ちは痛いほど理解できます。
しかし、「無駄な事なんて存在しない。すべて自分が”良い人材”になるために必要な栄養素だ」と考えるようになった瞬間、僕の悩んでいた心は晴れました。
どんな言語だって取り組んでいい。どんな資格だって取っていい。音楽だって絵を描くことだって、全てが自分の価値になるんだ、と。
(今の学校みたいに自分のやりたい事をガマンして、学校で決められた科目だけを渋々こなし、その点数だけで一喜一憂しなきゃいけないような教育を受けてくると、そういった感覚が得にくいですが…。)
もちろん、めちゃくちゃ疲れてて忙しいときに「無駄な事なんて無いから、全てのことを頑張ろう」と考えるのは難しいかもしれませんし、言うまでも無く「優先順位」は重要です。しかし、「なにも手につかず苦しい」と感じたときは、今回の内容を思い出してみてほしいなと思っております。
では、記事は以上になります。
ありがとうございました。
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